artscapeレビュー
2013年01月15日号のレビュー/プレビュー
聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館
[ドイツ、ケルン]
ピーター・ズントーのコロンバ美術館へ。今年のベスト級に素晴らしい。ローマ遺跡と戦争で破壊された中世の教会の廃墟を抱きかかえたリノベーション建築である。上階が美術の場になっており、変形プランのマイナスを感じさせないユニークな展示スペースを実現している。また中世美術と現代美術を混在させる展示手法のセンスも秀逸だった。
2012/12/12(水)(五十嵐太郎)
「3.11-東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか(海外巡回展)」ケルン展
会期:2012/11/14~2013/02/02
ケルン市立東洋美術館[ドイツ、ケルン]
ケルンのグリーンベルトに建つ東洋美術館は、前川國男が唯一海外で設計した建築である。コンクリートをむきだしにせず、タイル貼りの落ち着いた後期の作風なので、熊本、東京都、宮城の美術館と似ている。その向かいがケルン日本文化会館で、こちらはル・コルビュジエの流れをくむモダニズムだ(別の日本人建築家によるもの)。こうした建築の組み合わせは、上野公園の雰囲気を思い出させる。日本文化会館では、ちょうど「東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」展と、被災地の作家による「ポストカード・フロム・ジャパン」展を同時開催していた(あいちトリエンナーレ2013に出品する青野文昭も参加)。ここで震災後の建築についてレクチャーを行なったが、ドイツということで、原発の事故や被災建物の残し方に高い関心が示されていた。
写真:左=「3.11-東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか(海外巡回展)」ケルン展、右上=東洋美術館、右中=日本文化会館、右下=「ポストカード・フロム・ジャパン」展
2012/12/12(水)(五十嵐太郎)
川俣正 Expanded BankART
会期:2012/11/09~2013/01/13
BankART Studio NYK[神奈川県]
川俣正の新作展。大規模な個展としては2008年に東京都現代美術館で催した「通路」展以来、じつに4年ぶりである。「通路」展が川俣以外の人びとによるさまざまなプロジェクトを発進させるためのカタパルトだったとすれば、本展は川俣本人の表現に焦点を絞った文字どおりの個展である。BankARTの巨大な空間で、無数の廃材を組み合わせたインスタレーションや記録映像などを発表した。
輸送用パレットを建造物の外壁に組み上げた作品は、圧巻の一言。1階から4階まで木材がうねるように立ち上がっている。何かの怪物が建物に寄生しているかのようだ。風景を一変させるほどのスペクタクルを信条としてきた川俣ならではの力強い作品である。
ただ、室内の作品を見ると、その印象を修正することを余儀なくされる。そこに組み立てられたインスタレーションの内側に入ると、いまも伝統行事としてつくられているかまくらや、圧雪したブロックで構成したイグルーにいるような不思議に安らかな感覚が生まれたからだ。外側はたくましく、内側はやさしい。川俣の作品には、その両面が畳み込まれた厚みがあることを如実に物語る展示だった。
かつて川俣正はポストもの派の一翼を担う新人として華々しくデビューしたが、いま改めて振り返ってみれば、かまくらやイグルーという共同体に根づいた限界芸術を欠落させた都市社会において、それらを人工的かつ想像的に再生しようとする、民俗学的な作品として位置づけ直すことができるのではないか。それは、民俗学による戦後美術史の再編へと広がるはずだ。
2012/12/12(水)(福住廉)
MAM PROJECT 018 山城知佳子
会期:2012/11/17~2013/03/31
森美術館 ギャラリ─1[東京都]
沖縄出身の山城知佳子の映像や写真の作品は、以前からずっと気になっていた。沖縄独特の亀甲墓を舞台にした一連のパフォーマンスや、あの海の中を海藻とともに漂う「アーサ女」(2008)など、南島の母系社会の神話的想像力に根ざした注目すべき作品だと思う。今回は森美術館の新進アーティスト紹介企画の一環として、新作の三面スクリーンの映像作品「肉屋の女」が展示されていた。
「肉屋の女」はこれまでの山城の作品とは違って、物語性がかなり強く打ち出され、シナリオのある「映画」として見ても充分なほどの完成度に達している。海の中を漂う肉片を拾い集めて、米軍基地のフェンス近くのバラック小屋で売る女たちの世界と、その肉を争いながら奪い取って食べる男たちの世界とが交錯しつつ、鍾乳洞を舞台に沖縄の精神的な古層との交流を暗示するようなパフォーマンスが展開する映像作品の構造は、そう単純なものではない。それでも、山城自身をはじめとする沖縄在住の若者たちの開かれた身体のあり様が、気持ちよく目に飛び込んできて見応えがあった。それとともに「肉屋」という特異な空間設定が、とてもうまく効いていると思った。映像を見ているうちに、もしかするとこの肉は人肉なのではないかという、奥深いカニバリズム的な恐怖が引き出されてくるのだ。このテーマを深めていけば、さらにめざましい映像世界の展開が期待できそうだ。
2012/12/12(水)(飯沢耕太郎)
楢橋朝子「in the plural」
会期:2012/11/20~2013/12/22
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
楢橋朝子はこのところ、水の中に半ば没しつつ水中カメラで岸辺の景色を撮影する「half awake and half asleep in the water」のシリーズを中心に発表してきた。このシリーズはたしかに楢橋の写真家としての仕事の到達点というべき作品で、アメリカのNazraeli Pressから写真集が出版されるなど、国際的にも評価が高い。だが、今回のツァイト・フォト・サロンでの個展や、同時期に開催されたphotographers’ galleryでの個展「とおすぎてみえたこと」などを見ると、楢橋が次のステップへ向けて動き出したことが感じられる。
ツァイト・フォト・サロンの「in the plural」は、タイトルが示すように複数形の写真群によって構成されていた。中心になっているのは、さまざまな場所で撮影された「half awake and half asleep in the water」のヴァリエーションだが、そのなかにまったく関係なく見える写真が混じり込んでいる。サンタモニカの草原、湯沢の雪景色、登別のロープウェイなどは、むしろ前作の『フニクリフニクラ』(蒼穹舍、2003)の世界に近い。台北で撮影された鳥の影のようなものが写っているテレビ画面のようなテイストは、これまでの楢橋の作品には見られなかったものだ。実際に撮影期間はかなり長く、ここ10年ほどにまたがっているようだ。
こうしてみると、楢橋が「half awake and half asleep in the water」で打ち出していった、足場がぐらぐら揺れ動くような不安定な画像のあり方は、もともと彼女のなかに体質的に備わっていたものであることがわかる。水中カメラという装置を借りなくても、水の中に浮き沈みするような感覚がすでに身体化されていたということだろう。「half awake and half asleep in the air」とでもいうべき写真群が、次に形をとってきそうな気もする。
2012/12/12(水)(飯沢耕太郎)