artscapeレビュー

2014年01月15日号のレビュー/プレビュー

アイチのチカラ! 戦後愛知のアート、70年の歩み

会期:2013/11/29~2014/02/02

愛知県美術館[愛知県]

愛知県美の「アイチのチカラ」展を見る。あいちトリエンナーレ・ビギンズ、あるいはエピソード1と言うべき内容で楽しめる。当時の桑原知事の強い意向で、1950年代に県美の前身、60年代に県芸を創設し、続いて2つの芸大も登場した。戦後の蓄積があいちトリエンナーレを実現できる環境したことがよくわかる。『中日新聞』の酷評座談会によれば、愛知県にとって現代美術はよそから持ってきた、地域を疲弊させるものらしいが、この展示を見ると、自ら培った歴史と背景がある。特に奈良美智、杉戸洋、森北伸、小林孝亘らに影響を与えた県芸の櫃田伸也の絵が印象に残った。またあいちトリエンナーレも神田知事が始めたものだが、政治が文化にもたらす影響力の大きさがうかがえる。

2013/12/04(水)(五十嵐太郎)

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葵倶楽部

[愛知県]

『あいち建築ガイド』のインテリアのパートで紹介されている、葵倶楽部にて、食事会。築100年以上の古民家を改装したカフェ兼ギャラリーである。渡邊潤一が内装設計を手がけたもの。現代的なテイストを注入し、異なる時代の雰囲気が重層する空間だった。
http://aoiclub.exblog.jp

2013/12/04(水)(五十嵐太郎)

秋山陽 展

会期:2013/12/03~2014/01/25

ARTCOURT Gallery[大阪府]

陶による立体造形で知られる秋山陽の大規模個展。3つのシリーズ作品が出品された。《放卵のかたち》は、初期の黒陶技法による造形(現存しない)を自身の根幹として、改めて制作したもの。10点あり、幾何学的形態と有機的形態が絶妙のバランスで融合している。2003年から発表している《Metavoid》は、物質性を前面に出した存在感たっぷりの大作で、作品が内包するvoid(中空)と作品と空間認識の関係で生じるvoidの両方を意識させることを主眼としている。5点が出品された。そしてもうひとつはモノタイプ版画《交信》44点で、自宅周辺で採集したクモの巣を版にした異色の作品だった。これら3つのシリーズを通して、1970年代から現在に至る秋山の造形思考が見て取れたのが本展の収穫である。広大な展示スペースを持つ画廊ならではの、優れた企画展だった。

2013/12/05(木)(小吹隆文)

岡崎邦夫のコレクション展

会期:2013/12/04~2013/12/08

iTohen[大阪府]

大阪在住の眼科医で美術コレクターの岡崎邦夫氏が、自身のコレクションを披露する展覧会を行なった。この種の展覧会は自己顕示欲の発露と誤解されかねないが、本展は真逆。岡崎氏が丹念に画廊を訪ね、画廊主や美術家との交流を深めながら収集した軌跡がうかがえ、非常に好感が持てる内容だった。作品は若手のものが中心で、購入時には無名だったが今や人気作家となった者も多い(O JUN、鴻池朋子、津田直、三宅砂織、小沢さかえ、風能奈々、東義孝など)。また、ミュージアムピースはないが、それがかえって作品との親密な距離を表わしているかのようだった。他のコレクターも同様の機会を持てばよいと思う。コレクションの棚卸ができるし、なにより他者に共感される喜びは他に代え難いからだ。

2013/12/05(木)(小吹隆文)

ミキモト真珠発明120周年記念「ミキモトの広告にみる美の世界」展

会期:2013/12/05~2014/01/13

ミキモト本店6F ミキモトホール[東京都]

東洋大学教授・藤井信幸氏は、洋食器メーカー・ノリタケの創業者・森村市左衛門(1839-1919)と、養殖真珠を商品化したミキモトの創業者・御木本幸吉(1858-1954)のふたりの起業家の共通点として、独自のブランドの創出を挙げている。市左衛門も幸吉も起業家ではあっても技術者ではなく、洋食器にしても真珠にしても、彼らはいずれも海外ですでに存在していた市場への新規参入者に過ぎなかった。両者に共通していたのは、ブランドを構築するすぐれた努力であった。ではどのようにしてブランドを構築することに成功したのか。第1に不良品を排除し、品質管理を徹底したこと。第2に主たる市場である海外の動向を絶えず探り、新たなデザイン・技術を考案したり、販売戦略を見直したこと。そして第3に、これはとくに幸吉の場合に顕著なのだが、皇室との結びつきや新聞・博覧会といったメディアを最大限に利用し、自社の信用を高めたと指摘する。技術の向上・品質の管理と巧みなマーケティングが両社を一流のブランドへと成長させたといってよい★1。そうしたミキモトの歴史を「広告宣伝」という視点から紐解くのが、この展覧会である。
 御木本幸吉がメディアの持つ力を最初に意識したのは、20歳頃。鳥羽から東京に出たその帰路に人命を救助したことが新聞に掲載されて話題になったことから、新聞の威力を知り、その後話題づくりを主とした広告宣伝活動に積極的に取り込むようになったという。当時の主要な顧客は外国人であり、会場では英字紙に掲出された多数の広告が紹介されている。興味深いのは、お金を払って掲載してもらう広告ばかりではなく、ニュース記事になるようなパフォーマンスを行なっている点である。昭和7年、真珠業者の増加により品質の低下、価格の下落が言われた際には、神戸商工会議所前で粗悪真珠を焼却。自ら真珠をシャベルで火にくべる姿が、いくつもの新聞に写真入りで掲載されている。もちろん対外的なパフォーマンスばかりではなく、英語版のカタログやポスターには里見宗次のすぐれたデザインを用い、ジュエリーの意匠にも細心の注意を払っていた。戦後、高度成長期に入ると国内に向けた広告宣伝活動が活発になる。1959(昭和34)年の皇太子殿下御成婚を機に、ミキモトは広告やカタログ等で西洋風の結婚式とパールの組み合わせを提案。従来は限られた階層のものであった宝飾品を、ただモノを宣伝するだけではなく、宝飾品に関する歴史や文化的背景とともに広告を通じてより広い階層の人々へ伝えていく。「真珠王」御木本幸吉は1954(昭和29)年に96歳で亡くなっているが、「同氏[幸吉]独特の新聞雑誌或は印刷物による宣伝に任じ、自ら商戦の第一線に立ちて普く欧米市場を歴訪して世界販路の開拓に渾身の努力を用いた」★2という幸吉の偉業は、ミキモトのミーム(=文化的遺伝子)として引き継がれているようだ。[新川徳彦]
★1──藤井信幸『世界に飛躍したブランド戦略』(芙蓉書房出版、2009、1~19頁)。
★2──同書、205頁。明治33年に御木本真珠店に入店した久米武夫の言葉。

2013/12/06(金)(SYNK)

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