artscapeレビュー
2014年01月15日号のレビュー/プレビュー
オサム・ジェームス・中川写真展「沖縄─オキナワ─OKINAWA」
会期:2013/11/22~2013/12/14
京都造形芸術大学「ギャルリ・オーブ」[京都府]
会場に入ると、作家の名前が記されている以外の一切の文字を排した(沖縄という文字もない)、作品のみという空間はとてもよかった。洞窟や海といった沖縄の美しい写真をまず感じ、それに包まれ、特殊な長方形トリミングの写真表現から、畏敬の念を抱くことで、僕自身のタイミングで写真のバックグラウンド(沖縄の歴史)について考え始めることができたから。代わりにギャラリーの外側には関連書籍も多く、会期中、学生スタッフを中心にした10本以上の沖縄に関するレクチャーがあったようで、展示と資料の区別が心地いい。
2013/12/12(木)(松永大地)
ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展
会期:2013/11/09~2013/12/23
名古屋市美術館[愛知県]
工藤哲巳の回顧展が開かれたり、篠原有司男夫妻の映画が封切られたり、最近60年代美術の再評価の気運が高まっているが、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之によるハイレッド・センターの回顧展もそのひとつ。結成以前の「山手線事件」から、「第5次ミキサー計画」「シェルター計画」「首都圏清掃整理促進運動」を経て、赤瀬川の「千円札裁判」、その後の各人の作品まで集めている。ただしハプニングのように作品が残らないものも多く、写真や資料での展示が少なくない。その写真の大半は赤瀬川の著書によって知ってるため、おもしろおかしく自嘲気味に書かれたキャプションを思い出してしまい、まともに「芸術」として向き合えない。まあ「山手線事件」にしろ「首都圏清掃整理促進運動」にしろ、クソマジメに論じるほうが滑稽だけどね。
2013/12/12(木)(村田真)
植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ 写真で遊ぶ
会期:2013/11/23~2014/01/26
東京都写真美術館 3F展示室[東京都]
植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグといえば、世代的には1894年生まれのラルティーグの方が20歳ほど上だが、どこか似通ったところがありそうに感じる。何よりも、彼らの写真を見る時に伝わってくる手放しの幸福感、被写体に対する肯定的な眼差しが共通性しているのではないだろうか。とはいえ今回のように、それぞれ85点の作品を「1実験精神」「2インティメイト:親しい人たち」「3インスタント:瞬間」「自然と空間」の4部構成で、互いに比較するように並べた展示を見ると、共通性だけではなくその違いもまた目についてくる。
植田はずっと自分は「地方の一アマチュア写真家」であると言い続けてきた。単なる謙遜というだけではなく、そこには自由に、好きなように写真を撮って発表することができるという、アマチュアならではの特権を、誇り高く主張するという側面があったのではないのだろうか。植田にとって最大の目標は、言うまでもなく「写真する」ことであった。その生涯を、ありとあらゆるテクニックと持ち前の実験精神を総動員して、優れた写真を残すことに捧げたと言ってもよい。
一方、フランスのブルジョワ家庭で何ひとつ不自由なく育ったラルティーグにとって、写真は人生を心ゆくまで愉しみ、享受するためのスパイス以上のものではなかったのではないか。彼の写真には、むしろ「余技」であることの純粋な歓びが表われ出ている。見る者を感動させるような一瞬が、見事な構図で切り取られていたとしても、それはあくまでも結果であり、彼がそれを求めていたわけではなかっただろう。
だが、この二人の写真がブレンドされた相乗効果により、それぞれの仕事がそれまでとは違った角度から見えてくることも確かだ。二人ともごく身近な出来事や人物を被写体にしていても、それらがまるで魔法をかけられたような輝きを発していることを確認することができた。
2013/12/12(木)(飯沢耕太郎)
日本の新進作家 vol.12 路上から世界を変えていく
会期:2013/12/07~2014/01/26
東京都写真美術館 2F展示室[東京都]
12回目を迎えた「新進作家展」。日本の若手~中堅の写真家たちにとって、この選抜展の存在は大きな意味を持ちつつある。実際に「I and I」で第38回木村伊兵衛写真賞を受賞した前回の出品者の菊池智子のように、この展覧会をひとつのきっかけとして次のステップに進む者も出てきているのは、とてもいいことだと思う。
今回は「世界と向き合う行為を象徴する『路上』という場所」に焦点を合わせることで、大森克巳、糸崎公朗、鍛冶谷直紀、林ナツミ、津田隆志の5人の作品を紹介している。大森は、ピンク色のアメリカン・クラッカー越しに震災後の東京や福島の桜を撮影して「すべては初めて起こる」をまとめた。糸崎は「組み立てフォトモ」や「ツギラマ」といった特異な手法を駆使して街の光景を再構築する。歓楽街の看板、ポスター、チラシなどに徹底してこだわる鍛冶谷、浮遊セルフポートレートで風景の意味を軽やかに変換していく林、「あなたがテントを張れそうだと思う場所」に実際に宿泊してその場所を記録した津田の仕事も、それぞれの切り口で2010年代の「路上」のあり方を開示していた。
だが全体的に見て、今回は展覧会としてはあまり成功していなかったのではないだろうか。5人の写真家の方向性がバラバラなのは仕方がないが、それらが絡み合うことで、何か新たな「路上」へのアプローチが育っていくようには見えなかったのだ。会場のプラニングも、各作家の特性がうまく活かされているようには見えなかった。津田のパートは、もっとゆったりとしたスペースで見せてほしかったし、糸崎の展示は盛りだくさんすぎた。この種の展示では、バランスをとりながら、はみ出していく部分も大事にするという、難しい舵取りが必要になってくるということだろう。
2013/12/12(木)(飯沢耕太郎)
映秀東村
[中国・四川省]
映秀東村は、チベット系などが暮らす、現地復興ニュータウンだった。伝統様式を意匠に組み込み、映画のセットのような街並みである。この一角には、倒壊した中学校がそのまま保存されていた。付近の大地震紀念館は、地下に降りて震災の展示を見た後、今度は上に登って、復興計画の展示が続くという興味深い空間構成である。こうしたニュータウンや震災遺構の整備は、震災後、およそ2年でほとんど成し遂げられており、すさまじいスピードである。日本とは違う、国家主導の強さだろう。午後は世界遺産になっている都江堰を訪れ、二千年前の治水工事を見学した。
2013/12/12(木)(五十嵐太郎)