artscapeレビュー
2014年01月15日号のレビュー/プレビュー
CSP1「アンプリチュード──場への働きかけ」
会期:2013/11/29~2013/12/08
桑沢デザイン研究所1階[東京都]
東京造形大学卒業生6人による展示。タノタイガはさまざまな人物に扮して撮影した《15min.ポートレート》と題するセルフ写真を出品。15分といえばウォーホルの「だれでも15分間有名になれる」という言葉を思い出すが、それをひとりで独占しているわけだ。ミセス・ユキはヘビやクワガタの入った飼育箱を家具に組み込んだ作品。別にヘビやクワガタそのものをアートとして見せようとしてるのではないが、ほとんど動かないとはいえこういう場所に「動物」をもってくるとやはり反則気味のインパクトがある。末永史尚はパネルをタングラムのようにカットし、ストライプや迷彩模様を塗って組み替え可能にした絵画を展示。場所によって形態を変えるサイトスペシフィック絵画といえる。ほかにインスタレーションの大畑周平と狩野哲郎、木炭画アニメの辻直之らの出品。いまどきの売れ線の作家は避け、内省的・探求的な作品に絞ったところが好感がもてる。
2013/12/08(日)(村田真)
笹岡啓子「Difference 3.11」
会期:2013/12/01~2014/12/20
photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]
笹岡啓子は東日本大震災のひと月後から東北各地を撮影し始め、1年後の2012年3月から「Difference 3.11」と題する展覧会と『Remembrance』というタイトルの小冊子として発表し続けてきた。その『Remembrance』が、全41冊で完結するのを受けて、photographers’ galleryとKULA PHOTO GALLERYで開催されたのが,今回の展覧会である。
『Remembrance1 大槌』から今回の『Remembrance41 楢葉』まで、1セットで販売されていた小冊子の束の厚さを測ったら6センチほどになっていた。B2判の用紙の裏表に印刷して折り畳んだ小冊子でも、40冊以上になるとそれだけの厚みになる。まずは、三陸や福島県の各地を丹念に歩き回って撮影し続けた写真家としての一途さに感動を覚える。もうひとつ、特筆すべきなのは、笹岡の風景に対峙するポジションの取り方の揺るぎのなさである。どうしても特定の意味がまつわりついてしまう被災地の風景を、笹岡は平静に、やや遠目の距離感を保ちながら、精確なポジショニングで押えていく。そこには明らかに彼女の画面構成の美意識が働いている。
たとえば、今回展示された福島県双葉郡浪江町の除染作業の写真では、白い防護服を着用した作業員たちが、ほぼ一定の、絶妙な間隔で並んでいる様子が撮影されていた。彼らの姿を小さく取り込むことで(それは笹岡の別のシリーズ、釣り人の姿を画面に配した「FISHING」でも同じなのだが)、彼女の風景写真は緊張感を保ちつつ、高度に完成されていくのだ。このような美意識を持ち込むことは、ドキュメンタリーとしての力を弱めているのだろうか。僕はそう思わない。写真の美学と記録者としての節度を、微妙なバランスを保ちながら共存させる道を、笹岡は「Difference 3.11」の展示を通じて模索し続けてきたのだ。
2013/12/08(日)(飯沢耕太郎)
野村佐紀子「hotel pegasus」
会期:2013/12/07~2013/12/27
Bギャラリー[東京都]
この欄でも何度か指摘したように、ここ数年の野村佐紀子の写真のスタイルは大きく変わりつつある。モノクロームにカラー写真が加わり、男性ヌード一辺倒だった被写体の幅も広がってきた。それは取りも直さず、長く荒木経惟のアシスタントを勤めてきた彼女が、その引力圏から完全に脱しつつあるということでもある。
今回の個展「hotel pegasus」でも、その傾向はさらに強まってきている。ギャラリーのひとつの壁だけを使って、モザイク状にインスタレーションされた29点の写真は、すべてカラー写真である。個々の写真の場面に物語性を持ち込むのも、野村がこのところよく使う手法だが、このシリーズではそれがさらに徹底されている。ホテルの部屋の灰皿には、男女それぞれが吸ったとおぼしきシガレットが二本ずつ並び、背中を丸めて眠る裸の男を見下ろして撮影した写真には、爪に赤いマニキュアを施した女の脚(野村本人の?)が写っている。シリーズの全体が、架空のホテルを舞台にした劇映画のスチール写真のようなのだ。
こうなると、もう少し緻密なシナリオに基づいた物語=写真を期待したくなってくる。あるいは、脚本家や小説家との共作も考えられるのではないだろうか。「本展を皮切りに、野村佐紀子、写真集の発行人である一花義広(リブロアルテ)、写真集デザインを手掛ける町口景、Bギャラリーの4者で、野村佐紀子の継続的な写真展の開催と、併せて写真集の刊行を予定しています」ということなので、そのあたりをぜひ期待したい。
2013/12/08(日)(飯沢耕太郎)
天津図書館
[中国・天津市]
深い霧の中、北京から天津に移動した。文化地区のエリアに完成した劇場、山本理顕が設計した本当に巨大な図書館(グラフィックは廣村正彰が担当。空中に本棚のブリッジがあるのだが、ここは本物の書籍ではなかった)、夜になると光るイースタン建築設計事務所によるタワー・オブ・リングなどを見学する。その後、天津大学でレクチャーを行ない、同時代の批評家も紹介しつつ、戦後からバブル崩壊後の日本現代建築について語る。
2013/12/08(日)(五十嵐太郎)
プレイ 渡邊聖子によるメキシコ死児写真
会期:2013/11/28~2014/12/08
AG+GALLERY[神奈川県]
会期が過ぎていたのだが、撤去までそのままにしてあるということで、東横線・日吉駅前のAG+GALLERYに出かけて、「プレイ 渡邊聖子によるメキシコ死児写真」の展覧会を見てきた。
展示を企画したのは、メキシコで撮影された死児の記念写真のフィールドワークを進めている写真研究者の小林杏である。小林は、19世紀から20世紀半ば以降まで、主にメキシコ中央高原のグアナファト州やサカテカス州で撮影されていた死者の記念写真を蒐集・調査している。今回の展示は、そのなかから200枚ほどの写真を、渡邊聖子が自由にインスタレーションして、会場を構成していくというかたちをとっていた。渡邊は彼女のいつもの流儀で、写真の上にガラスを載せたり、テキストやこまごまとしたオブジェと組み合わせたり、写真の横に鏡や造花を置いたりしている。しかも会場の入口近くでは、小林と渡邊の2~3歳の娘たちが、床に自分たちの持ち物を撒き散らしながら遊んでいて、とても展覧会の会場とは思えないような奇妙な状況が生み出されていた。
もともとメキシコでは、子どもや独身者は穢れがないため、亡くなると天使になるという伝承がある。そのため、通夜の席では彼らの遺骸に白い服や、聖人や天使の衣装を着せ、花で飾り、一晩中音楽を奏でて過ごすのだという。今回はこのメキシコの習慣を、渡邊が換骨奪胎して再現するというもくろみだったのだが、それは見事に成功したのではないだろうか。タイトルが示すように、日本語では「遊び(play)」と「祈り(prey)」とは、同じように「プレイ」と表記される。そこでは、死者と遊び戯れながら、祈りつつ悼むという高度なバランス感覚を必要とするパフォーマンスが、きちんと成立していた。これで終わりというのではなく、さらに「死児写真」をテーマにした展覧会や出版の企画を進めてほしい。
2013/12/09(月)(飯沢耕太郎)